Takanobu Sawagaki沢柿教伸

Takanobu Sawagaki

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flag.gif エドモントン滞在記
2002.3.16〜3.31
3月16日(土)













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午後,Shaw夫妻に誘われてエドモントンの東にあるCooking Lakeという州立公園にクロカンスキーに出かける.気温は-15度ほどで,快晴の気持ちのよい天気.

0316.jpg夫妻は30年前のスキーを持参していて,私がUAのアウトドアセンターで借りてきた最新のスキーを見てうらやましがっていた.ところが,歩き出してすぐに,どんどん二人に引き離されてしまうことが判明.これは私の技術のせいではない.夫妻の木製の30年物のスキーのほうが,私が借りた裏面が鱗状になっているスキーよりもよく滑るのだ.おかげで二人に付いていくだけで必死で,非常に疲れた.途中で出会う人は少ないのだが,ソリを引いて滑っている若い夫妻がいたのには驚き.夫のほうはキャンプ用品を積んでいて,奥さんのほうはなんと赤ちゃんを乗せていた.滑りの悪い私は彼らにさえ抜かれてしまった.

公園は非常に広大で,総延長50km近いスキーコースが整備されている.多少のアップダウンはあるもののほとんど平らで,顕著な高台や目印になる地形もないので,案内板に従って樺林の中の刈り分けを行かないと確実に迷ってしまうだろう.

教授宅でシャワーを浴びて軽く夕食を取った後,今度は市の西郊外にあるSt. George United Churchという教会で開催されたSt. Patrick's Day(3/17)記念のチャリティ−オークションに連れて行ってもらう.テーブルに出品物が陳列してあって,一緒に置いてあるシートに名前と入札金額を書き込む形式で,“サイレント・オークション”と呼んでいた.オークションの間,別室では何人かのボランティアが楽器の演奏をしていたり,簡単なオードブルがふるまわれていたりして,日本の町内会チャリティバザーのような雰囲気.

3/6に紹介した「Edmonton Beneath Our Feet 」も出品されていたが,テーブルの端の集計用のパソコンの横に,ケーブルに紛れるようにぽつんと置いてあった.Shaw教授に伝えたら,さっそくもっと目立つように配置しなおしていた.あれは教授の出品だったのだろうか?Shaw夫人のほうは,この催しに来る度に,余興のくじ引きで何かを当てるので,みんなに恐れられているとか.今回も料理の本をもらっていた.過去にはストーンズのコンサートのチケットやビデオデッキなどの大物を当てているという.

明日のSt. Patrick's Dayはアイルランドの守護聖人を記念したアイルランド人のお祭りで「緑の祭り」とも言われている.この日は緑の衣装を着るなどして,緑一色になる一日らしい.バーでは緑のビールも登場するとかで,Shaw夫妻が出会って恋に落ちたのもこのビールのせいだと言っていた.夫人に「あなたは仏教徒だけど何かしなさいよ」と言われて,「それじゃ緑茶でも飲みましょうか」と言ったら非常にうけた.夫人はこの話をあちこちで吹聴したらしく,オークションの会場では多くの人から「明日はちゃんと緑茶を楽しんでね」と声を掛けられる始末.

今日出てきたSt. GeorgeとSt. Patrickは,St. Andrewsとならんでイングランド・アイルランド・スコットランドをそれぞれ守護するキリスト教の聖人である.UKの国旗のUnion Jackはこの3人を表す十字架を組み合わせてデザインされている.

3月17日(日)
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午前中は,掃除と洗濯.スキーの後遺症で足があがらない.

Ice Bound” という本を読む.南極点の基地の医師が越冬中に癌が発覚して救出されるという事件の本人によるドキュメント.12/2にもカナダの航空会社による医師の救出の話を書いたが,これはそれとは別の話.アムンゼンースコット基地ではなぜか医者が病気になるようだ.

夜は緑茶を飲みながら,テレビで“パッチ・アダムス”という映画を観る.「医療に人の心を」を心情に心の医者を目指そうとする同氏の医学生時代の実話を描いた映画.ややくせのある映画なので評価が分かれるとは思うが,私は素直に感動した.

3月18日(月)

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非常に寒い朝.ダイヤモンドダストが舞う.スキーを返しにアウトドアセンターに行ったら,担当のお姉ちゃんが鼻に凍傷をつくっていた.週末にロッキーでスキーをしてきたという.

お茶の時間になんの話からか氏・素性に関する話題になって,Shaw教授から“日本にもや家訓はあるか?”と聞かれた.大抵の日本人は祖先をいくつかの限られた名門にこじつけていることを前置きして,澤柿家は,将軍家に次いでチッリだった武家である加賀前田宗家を仰いで加賀梅鉢(幼剣梅鉢)の紋を使っていること,本来梅鉢は学問の神様である菅原道真公(天神様)の紋でもあること,この紋を使うことができたのも由緒ある真宗の寺だからであること(*),などを説明.“前田家の家訓は?”と聞かれて,利家が常に「徳川とは戦うな」と言っていたはずであることを思い出して“『Stay behind』かなあ”と応えたら,なぜか非常にうけてしまった.

外様でありながらも百万石の富と加賀の独自の文化を育むことができたのは,『Stay behind』の精神があったからだということは確かなのだが,この答でよかったかな,と不安になって,後で前田家の家訓をネットで調べたが,なかなかそれらしいものは見つからなかった.そういえば,日本では「利家とまつ」が放映中のはず.ケーブルテレビの日本チャンネルでは観られるらしいが,私は契約していないので観ることができず残念.

氷底水流の特集号,Quaternary International(2002) Vol.90 は本日発売(!?).11/16に紹介したShaw教授の論文もこれに掲載されている.これで最近旗色の良くない水流派の巻き返しの契機になるか?それとも『Stay behind』で独自の文化を育んだ方が得策かなあ?

*本来は菅公->美濃豪族->飛騨金森家に由来か?

3月19日(火)
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午後,Rains教授の講義.ニュージーランド南島の沖積平野形成史について.

van Loon, A.J. (2000) “The stolen sequence”, Earth-Science Reviews, 52, 237-244. という面白い論文をみつけた.堆積学上厳格に定義されている“シーケンス”という用語が,層序学や地球物理学によって別の意味として用いられるようになり,それが更に堆積学に再導入されようとしている,という事実を指摘した上で,同じ用語が時代によって変化したりかなり近接した分野で異なる意味合いで使われたりすることは,科学にとって好ましい状態とは言えない,と警告する論文である.

たとえば,60年代の論文で「A」という用語が使われていたとしよう.その「A」という用語は2020年代にはまったく別の意味で使われているとしたら,2020年の研究者は60年代の論文の「A」という用語を誤った意味に解釈してしまう恐れがある.このような事態が実際におこりつつある,ということをこの論文は警告している.

オリジナルの意味からのちょっとした逸脱の最初の例として“Glacial Sequence”が示されており,このくだりを読んだとたんに,丁度一年前に展開していたティル論議を思い出した.ティル論議はまさにこの罠にはまっていたのではないかと思う.だからといって,地質学や地理学が,定義が厳格な物理学や数学に比べて劣っているとかそういうことではないのだが,書き始めると長くなるのでこのへんでやめておこう.

ただ,私が一抹の危惧を抱くのは,地理学の名称が日本各地の大学から消滅しつつあることに伴って,地理学がオリジナルとして築いてきたコンセプトもまた,他の分野に受け継がれていく過程で消滅したり異なる意味に変化したりするのではないかということである.その変化や消滅についてあとから検証できるだけのものが残っていればまだ良い.しかし,政治的・なし崩し的に地理学の消滅を強いられている現状ではそれはまり期待できない.少なくともそのような語り部ともいうべきものを残す努力をしないと,地理学に起源を置く新興科学はいずれ手痛いしっぺ返しを食らうのではないかと思う.もっとも,失って困るほどの立派なものがあるかどうかは別問題ではあるけれど...

3月20日(水)
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最近,南極の棚氷が崩壊して巨大な氷山が流出したことがマスコミで大きく報じられている.この南極氷床のモニタリングにも関わっているMark Fahnestock氏が,グリンランド氷床で底面融解の激しいところがあるのをレーダーで見つけて,氷床下に火山が存在する可能性を指摘している(Science, 294, 2338),という研究の紹介記事を見つけた(Physics Today, Mar 2002, 55, 3,17-18).これがアイスストリームの源流域にあたるというから,なかなか面白いことになってきたなと思う.

私のほうは,2/25以来,BC州のドラムリンフィールドに注目しており,氷底水と氷床底火山の活動との関連で画像判読とレビューワークを続けている.Hickson, C.J. (2000) "Physical controls and resulting morphological forms of Quaternary ice-contact volcanoes in western Canada", Geomorphology, 32, 239-261という論文が今のところ一番まとまったレビューのようであるものの,これで紹介されている論文も結構古い物ばかりで,実際のところ氷床底火山についてはまだよく分かっていないというのが実情らしい.このBC州の氷底火山に最初に注目したMathews教授は,近年,高齢と重病で引退状態にある,とShaw教授が残念がっていた.

volcano.jpg右の図はBC州の北緯52度付近のDEM陰影画像で,餅の割れ目やニキビのように見えるのが火山である.活動期にはコルディレラ氷床下にあったと考えられている.火山に囲まれた図右下周辺は非常に滑らかで平坦であるが,その周囲へ拡散する谷中にはドラムリンが出現する.作業仮説としては,氷底噴火によってJokulhlaupが発生し,ドラムリンを形成したのではないかという考え.

氷底水流の特集号,Quaternary International(2002) Vol.90 には,MandyClaireの各女史が名を連ねているし,上記の氷床底火山のレビューの著者はCatherineさんだし,どうもこの業界には女性が多い.

3月21日(木)



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朝,バスを降りたら初対面の男性から声を掛けられた.同じ地球科学科の院生ということで,むこうは,私を学内で見かけたことがある,というだけで気軽に声を掛けてきたらしい.研究室まで一緒に歩きながら話しているうちに,Thanju, Rabindra というネパールからの留学生であることが判明.堆積系の地下資源についてマスターで研究しているということで,札幌の講座にいるチンタ・マニ・ゴータムのお兄さんのことをよく知っていた.

午後,Rains教授の講義.ニュージーランド北島の第四紀火山について.

3月22日(金)

春分の日を過ぎて,やや寒さが和らぐ.筋肉を硬直させなくてすむためか,非常に眠い.

3月23日(土)

気温も上がり,雪解け水で道路はビショビショ.土と草の香りが漂う風が気持ちよい.

午後,バスを乗り継いでOdyssiumまで行き,IMAX Theatherで上映されている“Alaska: Spirit of the Wild”,“Bears”,“Journey into Amazing Caves”の三本を鑑賞.

子連れの家族が大半で,三本全部を見たのは私だけ.プログラム毎に人が入れ替わるが,私の後に座る家族はどれも映画に同じような反応を示していて興味深かった.特に,母親が子供に内容を解説して聞かせていて,意外に知識がしっかりしているのに驚く.

3月24日(日)

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日差しの暖かい日.午前中に掃除と洗濯をすませたら,あとは気力のわかない退屈な一日.

夕刻より,アカデミー賞授賞式の生中継を観る.40年ぶりというハリウッドでの授賞式.そのために新設されたコダック劇場は,朝からずっと中継で様子が伝えられていた.テロ攻撃直後のエミー賞授賞式では,タキシードや華やかなドレスが自粛されていたが,アカデミー賞では,厳重な警戒体制が敷かれる一方で華やかな衣装も復活した模様.

総合司会のウーピーゴールドバーグの登場の仕方は,紅白の小林幸子を彷彿とさせた.まあ,アメリカにとってはこれが紅白みたいなものか.彼女が“あの世に行ってしまった先達を偲んで”といいながら上を指すしぐさをした後,“カナダのことじゃないわよ”といって笑いを取っていたが,アメリカの上はカナダなんだなあと,へんなところに感心する.

今回の受賞者はAfrican-Americanと呼ばれる人達が目だった.名誉賞を受賞したSidney Poitierのスピーチは感動的だったが,その後に主演男優賞を受賞したDenzel Washingtonが,彼のスピーチをもじって挨拶した即興ぶりにも脱帽.

3月25日(月)

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最近では“英語”と“情報”が日本の初等・中等教育のキーワードのように叫ばれているらしいが,いろんな解説・批評を読むにつけ,文部省の方針や現状を疑問視するものばかりが目立つ.情報教育に関して言えば,教える側の教師がコンピューターを使えないとか,学校の設備が時代に追いついていない,などの指摘がある.こうした指摘には同意はできるが,IT分野はまさに日進月歩であって,生活指導などで手いっぱいの教師にそれらに追いつけというほうが無理.そのことを考えると,技術や時代の進歩との格差は常に存在し続けるものとして許容し,別の側面から補っていくべきではないかと思う.

たとえば,土曜日のIMAXシアターでの体験とその後の関連ホームページの閲覧によって気づいたのだが,教育・科学に関する映画やテレビ番組のホームページには,必ずと言ってよいほど,授業でそのホームページが使われるとを想定して,教師への手引きが併記されている.コンテンツのほうが自ら教員をサポートするようになっているのだ.このような,教員向けの解説をホームページに掲載するということの,その動機自体はいったいどこから出てくるのであろうか?それを強制する法律でもあるのか?そもそも教育映画や教育番組は教育を目的としているのであるから,ホームページの目的もそうするというのが当然と言えば当然な行為ではあるのだけれど,映画やTV番組がホームページと連携することで生まれる教育効果をスタンダードなこととして普及させつつあることは,うらやましいと感じると同時に,見習うべきことだと思う.

ハード面のコンピューターにしても,その使い方を時間をかけてマスターしなければいけないようなものは本物ではない.携帯電話やi-Modeがあれほど爆発的に普及したのも,マニュアルなんて見なくても使えるという要因は小さくなかろう.ハードのほうが人間に近づく必要がある.マウスやキーボードを使えないようではお話にならないが,少なくとも,教員にハードの詳細について研修させるようなやり方はIT教育の方針としては間違っている気がする.それよりも,比較的新型のパソコンと高速で常時アクセスできるネット環境を教員に提供し,じっくりとネットの世界を探索できる時間を与えたほうがITリテラシー教育には有効であろうと思う.

惜しむべきは,優秀なコンテンツの多くが英語で書かれていること.日本国内の事情が追いつかなくても,ネット上で求めれば良い素材は世界中にたくさんあるのだから,言語の壁さえなければすぐにでも導入できる.英語教育うんぬん,ということは別として,世界中の優秀なコンテンツを末端の小中学の教室でも使えるようにするために,ネットコンテンツの翻訳技術が早く向上してくれることを期待したい.日常生活の会話もろくにできないような英語の授業をしているくらいなら,日本の英語教員にネット上の教育コンテンツの翻訳の仕事でもさせていたほうがよっぽど有効である,といったら言いすぎであろうか?

ただ,一見良さそうに見えるコンテンツでも,無批判に教育材料として導入することに危険がないわけではない.どの国でもそうだが,教育コンテンツには,往々にしてその国の政治や文化や宗教に関連した思想が意識・無意識のうちに盛り込まれているからである.かといって,日本の教育指導要領の枠にはまることが日本人の初等教育にとって全てであるというわけでもない.いくら学校という閉鎖的な空間に生徒を閉じ込めておいたからと言って,外からの情報の流入を止めることはできない.むしろ,海外のコンテンツがネット経由で容易に教育現場に入ってくるようになれば,文部省の指導要領や検定教科書の意味が薄れてさえしまうのである.ネット上に教育コンテンツを充実させ,ハリウッド映画にもまさるとも劣らぬ勢いで世界に流通させようとする動きは,ある意味ではアメリカの恐るべき国際戦略の一環として見ることもできる.

そこで問われるのが,教える側,実際に生徒と対峙することになる教員のITおよび国際リテラシーの成熟度である.日本人としてのアイデンティティを維持し,国際的な視野で相対的に自分の位置づけができ,それらに立脚した上で異文化の人々に対して主張と対話ができる,そんな教師が理想だけれど,無い物ねだりにしかならないかなあ.

日常生活の会話もろくにできない...と英語教育の批判めいたことを書いたが,重要なのは,自分の考えをしっかりと持って,誤解のないように正確な論理で主張できることである.内容のない馬鹿げたことしか言えないやからには下手にしゃべらせてはいけないのだ.言語教育とは,言葉の教育だけで成り立つものではなく,論理構成能力や異文化の理解度等との相互関係によって向上させていくべきものであろう.

少なくとも私が受けてきた英語教育では,文法知識だけはシコタマ詰め込まれた.今になってみると,学習した時間のわりには日常会話もろくにできないことに気づく一方で,文法知識に助けられている面もある.本当に厳密な文法能力が威力を発揮するはずの「国際理解」や「論理的思考」を私の内部に培ってくれた教育は,必ずしも言語教育とは連動していなかったことも確かで,国語・数学・理科・社会などすべての分野が総合的に補ってくれたのだと言っても良い.英語教育が独自にできることといえば,異文化との対話能力を育てる基礎をつくること.それさえできていれば,日常英会話にしても,その必要に迫られれば自発的意欲によってそれなりに英語力を獲得していけると思う.日本の学校英語の欠点は,学習した時間のわりに実効性を伴っていないことに尽きる.

私は「ゆとり教育」には反対である.「ゆとり教育」によって全体の学習時間が削られている中で,他の分野の時間が削られるという犠牲と引き換えとなるような形での小学校からの英語教育にも反対である.学校の学習成果が受験などの圧力に直結していることが問題なのであって,本当の学習の楽しみや意欲を知る者は,学習時間がいくらあっても足らないと思うものなのだ.本当に必要なことは増やすことこそあっても減らすべきものではない.英語が単に言語の修得ということに留まっていては実効性がないということからも明らかなように,英語を小学校の授業に追加するなら,それ以上に国語や社会の時間を充実させる対応も伴わせなければ意味がない.

希しくも,中村総長が北大の卒業式の式辞でおっしゃたことと趣旨が重なったが,本日の滞在記をもって修士修了者,学位取得者への私からのはなむけの言葉にかえたい.地球生態学講座の修了者のみなさん,これからの活躍を期待します.

3月26日(火)
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午後,Rains教授の講義.North Saskachewan Riverの発達史について.

国立大学が法人になった場合の資産を計算するのに膨大な時間とコストがかかるとか算出そのものが不可能であるなどと言われている.大学を巨額の不良債権と例える向きさえある.ということで,実際に法人になってしまったら,国立大学は既存の法人とくらべてどの程度のものに相当するのか興味だけはある.

そんな中,主に中小企業の経営者を対象に書かれている会員登録制のサイトで面白い記事を見つけた.「エクセルが中小企業のIT化の足を引っ張る!? 」というのと「OA化とIT化はこんなに違う」という記事である.パソコンやエクセルで業務を処理することを社員に強いたら,同じようなドキュメントを個々人が別々に作るようになってしまい,かえって効率がダウンした,という話で,IT化によって可能になった“情報の共有”という利点をまったく活用できていない,という指摘である.

近ごろの大学の日常業務でのITの使われ方をみていて,北大も,内容的には上記の中小企業のIT音痴な社長さんが被った“エクセルの被害”をうけていると感じることが多い.それを考えると,国立大学といってもその運営の実体はせいぜい個人経営者が仕切る中小企業程度の集合体であると言わざるを得ないだろう.資産の話にもどれば,大学への国の投資も中小企業並みであるから,運営の実体がそうなのもいたしかたのないこと.

まあ,IT化を叫んではいるけど頭の中はからっきしアナログ,という経営陣に仕切られた中小企業に勤務しているものと思って,あきらめつつやっていくしかないか...実はそれ以下の官僚組織に牛耳られているという見方もあるが,そこまで思い詰めると生きていけないので,業界の底辺を支える北大中小企業の従業員ということにしておく.実際,講座運営という点では自分も経営陣の一員であるわけだし,自分なりにも考えなければいけないことは多い.

26日と28日の内容は
コラム「IT時代の大学運営と国立大学の独立行政法人化」
として改めて掲載しました.

3月27日(水)
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白瀬矗が大和雪原に到達した90周年を記念する式典が,27日にオーストラリアのシドニーで開かれた,というニュースがあった.

Shackleton.jpg昨夜,“Shackleton's Voyage of Endurance”というTV番組を観た.私が大好きなErnest Shackleton卿の南極ウェッデル海でのサバイバルを描いたドキュメンタリーで,隊員の子孫や歴史家へのインタビューと記録フィルムによる再現が主な構成.同じ取材班によるIMAXシアター版の映画もあり,たぶんTV版にはない取っておきの現地の映像は映画のほうで使われているのであろう.大画面で見てみたい.カナダではVancouver・Victoria・Quebecの3箇所で上映されるらしいが,日本での計画はない模様.

関連のホームページには,例によって教育向けの手引きも掲載されている.


そろそろ3月も終わる.4月のバス定期券を買うかどうか迷っていたが,日中の気温もプラスになり,春めいた気候になってきたので,思い切って4月からは自転車通学にすることに決めた.午後,何軒かの自転車屋さんをまわって手ごろな中古品を探す.こちらには日本のママチャリに相当するものがなく,マウンテンバイクか長距離用サイクリング車の選択しかない.結局,大学に一番近いところにあったRedBikeというショップで中古の3x7段変速付きMTBを$300で購入.バスの定期代を考えれば半年で元が取れる計算.ちょっと試乗させてもらって発見した変速器の不具合を指摘したら,ただで新品の部品と交換してくれた.ついでに全体的なチューニングもやってくれて良心的.非常に好感が持てる.

ショップから大学まで乗ってきたら,まだ融雪で道路が濡れているため,タイヤのしぶきが跳ねて背中がドロドロになってしまうことに気づいた.日本のママチャリならこんなこともないのに.車輪を覆うカバーがいるな.実際に家まで走ってみたら25分かかった.パソコンを背負ってダウンを着ていたので汗だく.こりゃいい運動になる.

MTBはファッショナブルでスポーティなことは確かだけど,日常生活上の実用面からいうと普段の生活に向いているとはとても思えない.乗る姿勢もかなり前傾姿勢になって個人的には腰が疲れるし,変速ギアだってそんなに使うものでもないし,買い物かごはあきらめるとしても,早速問題になった泥除けをはじめとしてチェーンカバー・安全の反射板・ベル・ライト・スタンドもついていないし...同室のクリスは真冬もずっとMTBで通学しているが,行き帰りには必ずMTB用のパンツとジャケットに着替えている.彼を見ていて“そこまでするか”と最初は思っていたが,MTBを乗りこなすには服装を整えることまでする必要があることにようやく気づいた.ちょっとまたがる,という感覚じゃないんだなきっと.こう考えるといかにママチャリが街中の乗物として優秀であるかが再認識される.

別にMTBの悪口を言っているのではなくて,競技車として発達したMTBが街乗り用として普及していることが不思議なのである.日本でも,西洋からの留学生はどちらかと言えばMTBを選んで購入している場合が多い.祖国の習慣で“自転車と言えばMTB”みたいな固定観念をそのまま日本でも貫いているんだろうけど,郷に入れば郷に従えで,一度ママチャリにも乗ってごらんよ.きっとその良さに気づくはずだから.

そういえば,こちらじゃおばちゃんが自転車に乗っている姿は全然見かけない.そりゃそうだろうな.MTBはおばちゃんには乗りにくいに違いないのだ.おばちゃんたちは正直でよろしい.こちらでおばちゃんをターゲットにしてママチャリを売り出したら結構いい商売になるんじゃないかなあ.中国人も多いことだし需要はあると思う.それに“ちょっとそこまで”という用事にも自家用車を使ってしまうこちらの車中心の生活感覚に一石を投じることになって,環境問題にも貢献できる.金髪のおばちゃんたちがママチャリでエドモントンの街を駆け抜ける.ああ,なんとエキゾチックな光景だろう.想像するだけで楽しくなる.

3月28日(木)

地元富山の県立新湊高校がまたやってくれた.春の選抜高校野球一回戦で,イチローの母校愛工大名電を2-1で制し勝利を納めたのである.新湊高は,前回出場した86年春に,初出場でベスト4に入るという“新湊旋風”を巻き起こした.当時私は大学一年生.選抜高校野球の開催時期には,山岳部の春休み山行で北アルプスを縦走しており,幕営地で聞くラジオ中継には楽しませてもらった.あれからもう16年か.名投手と賛えられた酒井投手はどうしているかなあ.別に知人ではないんだけど...自分だって16年後にカナダにいるなんて想像もしていなかったよ.

新湊高野球部は,全国優勝経験がある訳でもないのに,作詞家の阿久悠氏をはじめ,なぜか全国各地にファンが多い.この詳細については,おなじみ金川教授のページで熱く語られている.Googleで検索すると,なんと高校の公式ページよりも金川教授のページのほうが先に表示されるのには驚いた.そのページによれば“新湊は池田高校のある池田町、簑島高校のある和歌山県有田市と一緒に「日本の三大野球狂の町」と呼ばれている”ということだから,まんざらGoogleも悪くない.


お茶の時間に,26日に観た“Shackleton's Voyage of Endurance”の話をしたら,Shaw教授もその番組を観たという.おまけに“The Endurance”という映画がダウンタウンの映画館で上映されている,とも教えてくれた.そこで今夜早速,教授と一緒に観に行くことになった.

ダウンタウンは,大手デパートが撤退したこともあってますます活気がなく閑散としていた.教授の話では,都心の空洞化が進んで郊外のモールが繁盛しているという.館内に入ってみたら我々二人しか客がいない.後から何人かが入ってきたけど,いちゃついたカップルだった.

結局,映画はテレビと内容が90%同じもの.テレビ版のほうが追加されたシーンもあって内容的には充実している.ただ,やはり大画面の魅力は大きい.実質的に二度目の鑑賞となったわけだが,映画のほうが映像の印象は強く残ると思う.ますますIMAXシアター版を観たくなった.


このところ学内の日常業務関係で送られてくるメールは,やたらと添付書類になっているものが多い.本文には肝心なことが何も書かれていないので,しかたなく添付されているワードの書類を開けてみたら,メールの本文にテキストで表記しても十分じゃないかと思えるものが大半.時には,見たことのない拡張子がついたものや,私が使っていない一太郎の文章が来ることすらある.ウィルスを持っている可能性も大いにありうることだし,正体不明や取り扱い不能の添付書類が来た時は,感染の危険を冒してまで無理して読むこともないと思って即刻廃棄している(実際読めないわけだし).

ホームページにしても,ワードのHTML機能で出力される見るも無惨なHTMLソースで構成されているページも目に付くようになってきた.業績データベースの件と同様に,OAやITの正しい理解がないために起こる格好の悪例が蔓延している.ハッキング等のセキュリティ面でも末端ユーザーの正しいIT理解が必要とされている昨今である.北大中小企業の同僚従業員の諸君,IT技術を使いこなせずに日常業務非効率化を招き,業績生成の第一戦に立つ研究者の貴重な時間を浪費させているようじゃ,法人化後の競争に勝ち残れないよ.ガンバロー.

26日と28日の内容は
コラム「IT時代の大学運営と国立大学の独立行政法人化」
として改めて掲載しました.

3月29日(金)

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今日は,グッドフライデーという祝日.いわゆるキリストが十字架にかけられた13日の金曜日を記念する日というのが一般的な解釈.「春分後の満月の次の日曜日をイースターとする」という決まりは,キリスト教とは別のもっと古い習わしに由来するらしい.今年は春分の日のすぐあとに満月が来た.カナダでは,今年のイースターを本日の金曜日に始めて次の月曜日のイースターマンデーに終わることになっている.ということで大学は4連休.

天気も良いので自転車で東洋食スーパーまで買い物に行く.帰途にホームデポオフィスデポという巨大ホームセンターに寄る.通りがかった別の店で子供用のMTBが$120で売られているのを見つけた.実際に乗ってみたらこちらのほうが私の体に合うようだ.これにすれば良かったかな.でも自転車を持たない時期にここまで来るにはバスを乗り継ぐ必要があり,ここに自転車屋さんがあることすら分からなかったので,購入を検討する対象にはならなかった.あちこち探せばいろいろ見つかるということも,MTBは体に合せることが重要ということも,実際にMTBを入手して初めて分かったことだし,最初のうちは,これくらいの失敗はつきものとしてあきらめるか.

ということで,冬も終わって活動範囲も広がり,私のカナダ滞在はセカンドラウンドに突入する.きっと新たな発見もたくさんあるに違いない.

3月30日(土)

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天気が良いので自転車で遠出をしようと思って走り出したら,思いのほか気温が低くてあっという間に顔が硬直してきた.近くのショッピングモールまで行ったところでコーヒーを飲んで暖まる.ついでに,パーカーを新調しようと衣料品店をみたら,もうすでに半袖の夏物が主流で冬物はほとんど置いていない.この時期にカナダに来る人は,防寒具の現地調達は品が限られるかもしれないので注意が必要だ.

この先への遠出は断念して早々に帰宅.結局,今日一日ずっと氷点下だった.

エリザベス皇太后が亡くなった.半旗があがり,TVも特番を組んでいる.1900-2002という生涯はまさに20世紀の具現者.カナダにとっては日本の皇室みたいなものだから,扱いの大きさも当然か.女王即位50周年,マーガレット王女逝去など,今年に入って英国王室は話題が続く.

3月31日(日)

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除雪が必要なくらい雪が積もる.日中は掃除と洗濯,講座のホームページを新年度用に更新する作業で過ごす.テレビは英国皇太后の回顧番組とベンハー・十戒・ノアなどの聖書に関する硬派映画が目白押し.

夕刻,Shaw教授夫人の妹さん宅にイースターのディナーのおよばれにうかがう.Shaw教授は風邪でダウンのためお留守番.夫人と息子の三人で出かけることになった.私はお土産にウサギをかたどったチョコを持参.それを“Bunny”と呼ぶのが気になって“Is it female ?”と聞いたら“It is he”だという返事.こちらでも家の中で靴を脱ぐのが普通だが,玄関が日本のようにアガリの構造になっていたのは珍しい.

おいしい料理をご馳走になった後,妹さん一家と共に“Definition”という言葉のゲームを楽しむ.親になった人が辞書やカードから難解な言葉を一つ選んで参加者にスペルと発音を提示する.親はその言葉の正しい定義を自分の紙に書き留める.参加者は自分なりの定義を考案して紙に書く.親は定義が書かれた紙片を集めて順に読み上げ,参加者はその中から正解と思うものを選ぶ,というゲーム.正解を選べば得点になるし,考案した定義が選ばれた人もその数だけ得点になる.正解者がいない場合は親の得点になる.

自分なりの定義を考案する場合は,正解と間違えそうなもっともらしい定義をねらうか,ジョークの受けをねらうか,の二通りの戦略がある.ネイティブではない私には,もっともらしい定義を考えるなんてそもそも無理だから,うけねらいの路線一本で通す.それでも,私の定義が結構選んでもらえたのには驚き.

センスと教養が問われる面白いゲームだが,たぶん日本語じゃこのゲームはむりだろう.

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