Takanobu Sawagaki沢柿教伸

Takanobu Sawagaki

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flag.gif reace_anime_01.gifエドモントン滞在記
2001.12.16〜12.31
12月16日(日)

クロカンスキーのビギナー講習会第2日目に参加.昨夜につい飲みすぎて二日酔いだったが,体を動かしてすっきりした.

tree-s.jpgレッスンが終わる頃には日も高くなって気温も上がり,道路は融雪で濡れる.意外にも道路がドロンコになっているのでよく見たら,市内の舗装は日本のような油ぎったアスファルトとは違う.といってコンクリートでもなく,砂利を突き固めたような感じで碁石ほどの礫の含有量が多い.剥がれた砂礫が融雪水に混ざってジャリジャリしている.土木業界の人ならこういうのを何と言うか知っているのだろうが,日本では見かけないものだ.

1216-s.jpg午後,Shaw教授宅のクリスマスツリーの飾り付けの手伝いに駆り出される.「うちは主人がなかなか動いてくれなくてはまだなのよ」と昨夜のパーティで奥さんがぼやいていたのに思わずうなづいてしまったため.本物の木をリビングルームに飾るのは初めての体験.タンネの香りが部屋中にたちこめる.暖炉の薪が燃える香りとタンネの香りの絶妙なコンビネーション.日本の形ばかりのクリスマスじゃ香りを伴うクリスマス感覚なんて知りようもないが,これがほんとクリスマスなんだなあ,としみじみと思う.おそらく私の臭覚がタンネと関連づけられている事象はこれではなくてこれ

ちなみに,クリスマスツリーのための伐採は間伐の意味もあるのでカナダではそんなに問題視されていないという.日本の割箸の事情を連想してしまったが,さすが木材の輸出国なだけのことはある.しかしホントに問題はないのかなあ.ツリー用の木は大学の林学科が一般向けに販売している物を購入した.林学科のお墨付だから「問題ない」というのはたぶんホントなのだろう.

12月17日(月)

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お茶の時間やパーティではなるべく積極的に会話に加わる努力をしているが,特に日本人どうしの間でも寡黙といわれる私は,ひととおりのやり方ではまだまだ.日ごろからShaw教授にはいろんな人を紹介してもらうのだが,たいていの場合は名前ぐらいしか教えてもらえないので,なにを会話のとっかかりにしてよいか分からず困ることが多い.それを聞き出すことが会話のチャンスとして残されているとみるか,そういうことは野暮だからもっとパーソナルにつきあおうという風潮なのか,まだ見極めかねている.もっと社交的な性格に生まれればよかったなあ.

名前だけ聞いてそれきりだったのを,後で調べてみたらものすごい人だったと気づくことも多い.たとえば,昨日クリスマスツリーにする木を調達に行ったとき,林学科の販売所でShaw教授に親しく話しかけてくる一家があった.娘たちにこづかれながら木を運んでいた気の良さそうなお父さんが,実は「The Edmonton Protocol(エドモントンプロトコール)」と呼ばれる糖尿病の画期的な治療方法を推進しているグループの若手リーダーだったりする.

昨日は木を部屋に立てるところまでしかできなかったので,今夜もまた飾り付けのお手伝いに伺う.かわりに晩ご飯をご馳走になる予定.

12月18日(火)

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Shaw教授に「私の後を歩くな」と言われた.ゴルゴみないたことを言うなあ,と思ったら,どうやら私の日本人としての振舞いに興味を持ったらしい.

二人で歩くときはそうでもないのだが,三人以上いる場合はついつい教授の後を歩いてしまう.「三尺下がって師の影を踏まず」という処世訓を無意識のうちにここでも実践してしまっていたらしい.これを下手な英語で説明したら「横を歩けば影を踏まずにすむ」ときりかえされた.

大学もクリスマス休暇に入るので,ウィスラーにスキーに出かける.ということで日記の更新はしばらくお休み.

12月19日(水)

バンクーバーに発つ前に,学科の職員のクリスマス昼食会に顔をだす.料理やプレゼントの交換など,結構豪華な内容.その後,空港行きのバスに乗ったところ,休暇で帰省する博士課程の院生数人と偶然乗り合わせる.TAをしているので彼らもパーティに参加していたが,口々に「秘書の連中は暇だよなあ...あれだけのパーティのために一週間も前から準備してんだぜ...プレゼントの交換も秘書どうしの内輪受けもいいとこだよ...こっちは論文書きでうなってるって言うのに...」とぼやいていた.

1時間遅れで到着したバンクーバーは暖かく快適.ダウンタウンのにぎわいにエドモントンがとんだ田舎に感じる.AGUのためにサンフランシスコに来ていた従弟と合流し,以後二人旅となる.ダウンタウンのラーメン屋で久しぶりに本格的なラーメンを食べる.ホテルでメールをチェックしたところ,菊池さんからのお誘いの言葉をみつけた.急遽予定を変更して22日夜にお宅を訪問することにする.

12月20日(木)

午前中はウィスラー往復のバスの時間のチェックやガスタウン方面の市内観光.午後のバスでウィスラーに向かう.

実はメキシコにいる弟の家族が一緒に来るはずだったのだが,テロを恐れる日本大使館から許可がおりず,ボツになった.今回のスキー旅行の企画・アレンジはすべて弟の手によるもの.肝心の本人が来れなくてさぞかし残念だっただろう.ツアーはJTBの完全サポート付きで,私のセンスでは決して取らないだろうな,という豪華リゾート仕様.私は世界各地をまわっているが今までこういう旅行はしたことがないので,JTBの至れり尽くせりの対応ぶりを初めて体験して「楽でいいなあ」と思うと同時に「旅行の値段」というものについて考え直すよい機会となった.弟家族のキャンセル分がほとんど戻らないだけに,値段への感慨もひとしお.

JTBの話では,日本人の数は例年の半分以下ということ.雪の量もまずまずらしい.エドモントンから来たと伝えたら「それは寒いところから」と言われる.

12月21日(金)

whisler.jpg快晴.半日のガイド付きで朝一のゴンドラで終点駅まで行き朝食をとってから滑り始める,というオプションに参加.参加者は我々2人だけなので,女性のガイドを独り占め.エドモントンから来たと伝えたら「寒いところだそうで」と言われる.半日とはいえ,ガイドについて効率よくルートをまわる選択は正解だった.午後もリフトの最終時間ぎりぎりまで滑って体はガタガタになる.

普段は本州のスキー場で滑っている従弟はウィスラーの雪質とスケールに感激していたが,北海道の雪と山のスケールに慣れている私はそれほどでもない.

12月22日(土)

またまた快晴.午前中一杯滑べった後,予定を一日早めて午後のバスでバンクーバーに引き返す(後でカミさんに「北米最大のスキーリゾートをたった1日半で引き返してくるなんて」と世間知らず呼ばわりされた).

バスターミナルで菊池夫妻の出迎えを受け,御自宅に向かう.「エドモントンは寒いところだよねえ」と言われる.長男ご家族と一緒に中華レストランで夕食をごちそうになった後,ご商売の保険についての勉強や山・南極・世界情勢などの話で一夜を過ごす.

菊池氏は日加の架け橋としてバンクーバーの日本人社会でも多くの要職を歴任されてきた方であるが,北大・地質・山岳部・南極という関係で私のような若輩にも目をかけていただいている.特にボツンヌーテンに初登・二登した関係でもあり,私としてはただならぬ因縁を感じざるを得ない御仁である.

ということで,私にとっては記念すべき一夜となった.

12月23日(日)

よほど平素の行ないが良いのか今日も快晴.菊池夫妻の案内でバンクーバー市内を観光する.世界でも美しさにかけては上位にランクされている都市だけあって,森と入江の中にたたずむ住宅街の風情はすばらしい.

北海道とアルバータ州は1980年に州規模の提携としては世界初の姉妹州の関係を結んだ.菊池氏は,当時,北海道に関係するカナダ在住日本人として提携事業に協力されていたという.実は北海道は当初ブリティッシュコロンビア州(BC)との提携を目指していたが,交渉中にBC州で政権交代があったため手続きが中断し,予算執行を止められないといういかにも日本的な問題を抱えていた道側がアルバータ州に切り替えて提携を結ぶことになった,という裏話を伺った.私の印象から言えば,カナダ側には申し訳ないが,アルバータ州と北海道(州都という意味ではエドモントン市と札幌市)の関係で丁度いいんじゃないかと思う.もしBCとの提携が実現していれば札幌はバンクーバーと姉妹都市になっていたかもしれないのだが,現在バンクーバーと姉妹都市になっているのは横浜市であり,港湾都市や洗練された都会的センスという面からみれば横浜のほうがずっとバンクーバーにふさわしい関係であるように思う.また気候風土的にも,バンクーバーはカナダの中では温暖であり道内のどの都市とも符合しないし,エドモントンのほうが十勝原野に酷似しているので,北海道人としては近親感を持ちやすい.海産物との関係でいえば海のないアルバータはBCに比べるべくもないが,牧畜や農産物などでは十分釣り合いがとれる.私がこうして在外でアルバータ大に来れたのも,アルバータ大と北大が姉妹校の関係にあるということも少なからず有利な要因に働いたはずで,なにがどこでどう幸いするか分かったものじゃない.

突然予定を変更して押しかけたにもかかわらず,快く歓迎していただいた菊池さんご夫妻・ご家族には感謝の念に絶えない.話したいことを十分に語り尽くせなかった面はあるが,機会があれば是非もう一度お会いしたい.

午後,エドモントンにもどり,日本からやってきた妻子と再会.

12月24日(月)

ive.jpgレンタカーを借りたので,大型量販店で年末年始の買い物を済ませた後,市内をまわって観光する.日暮れには,イルミネーションで飾った住宅街を見物し,クリスマス気分を味わう.

車のある生活はやっぱり良い.

12月25日(火)

クリスマスの日.商店はどこも休みで車の交通量も少なく,街は静まり返っている.

午後,Shaw教授一家のクリスマス恒例行事に誘われて,河畔公園にスケートに行く.私はスケートをするのが久しぶりなのと初めてのアイスホッケー用の靴に慣れないのとで,なかなかうまく滑れない.小一時間真剣に滑ったら汗だくになった.

1225.jpg一旦戻って着替えた後,家族でShaw教授宅のクリスマスディナーに招待される.みなさんドレスアップしていて,平服に近い我々は気後れしてしまう.奥さんのお姉さんなどはまるで演歌歌手のよう.奥さん姉妹合作のクリスマス料理を堪能する.

かみさんは「今まで口先だけの“メリークリスマス”はさんざん使ってきたけど,真剣にそう言ったのは今回がはじめて」と感想を述べていた.

みなさんの家にもサンタさんはきたかな?複数サンタクロースの巡回問題なんて複雑なことを考えている人もいるけど,子供の数だけ親がいるように,信じる人の数だけサンタはいるのだ.だから一人のサンタが計算しなければならない経路の総数(N-1)!/2は限りなく1に近いと私は信じたい.

12月26日(水)

朝,従弟が帰国するので空港まで送っていく.

今日はBoxing Dayというカナダの祝日.そもそもの由来は日ごろの感謝のしるしに使用人や郵便配達員などに祝儀を渡すことから始まった行事だそうだが,現在ではクリスマスの翌日の買い物デーとして定着している.どこの商店やモールでも「半額なんてあたりまえ」みたいなバーゲンセールをやっている.レンタカーをまだ借りているので,今ぞとばかり,買い物に出かける.

12月27日(木)

朝は快晴.樹氷がついて街は雪が降ったように真っ白になる.

レンタカーを返す日だが,せっかくなので,車を返しに出かけるついでに,エドモントンの宇宙科学博物館に寄る.カナダで開発されたアイマックスシアターの上映がここの最大の見せ物なのだが,息子がまだ鑑賞にたえられる年ではないのであきらめて,一般展示のみを見てまわる.

レンタカーを返してタクシーで帰宅した際に,かみさんが「借金のかたに車を取られた帰り道のような気分」と形容していた.またあのバス生活がはじまると思うとちょっと憂鬱.

12月28日(金)

車もなくなったし家事もたまってきたので,掃除や洗濯などをしながらおとなしく家で過ごす.クリスマスあけの同じような事情を抱えた人が多いのか,コインランドリーは満員.

換気のために空けておいた窓が凍りついて閉まらなくなった.外の気温が暖かくなるまで待つしかない.

どこかから虫の鳴き声が聞こえてくると思って調べたら,床下の温水パイプのそばでコオロギが鳴いていた.

12月29日(土)

私としては普段の生活につきあってもらうだけでうれしいのだが,妻子はせっかくカナダに来ているのに...と,エドモントンの平凡な田舎生活に飽き始めた様子.大枚をはたいてはるばるやって来ているのだからこれもいたしかたないこと.

日本からわざわざ来てくれている家族のために,いまから取れるかどうか分からないが,正月にどこかロッキーの麓のリゾートに泊まりに出かける計画でも立てようかなあ.

12月30日(日)

マイナス20度の朝,バスでウエストエドモントンショッピングモールへでかける.

遊園地でさんざん息子を遊ばせた後,スポーツ店でスケート靴を購入.普通の靴並みの値段.まるでサッカーシューズを売るかのごとく,いろんな種類のアイスホッケー用の靴・プロテクター・スティック等が売られているのをみて,“さすがカナダ”と感心する.モールの中にはリンクもあり,高校時代にフィギュアをやっていたかみさんの手ほどきで息子にスケートを初体験させる.

今後は家の近くにある野外リンクで特訓する予定.

12月31日(月)

朝,16時間先行している日本の実家から年賀の電話.例年は我々兄弟でついている除夜の鐘も,今年はどちらも海外にいて不在だったため,従弟妹が二人でやってきてピンチヒッターで鐘をついてくれたそうだ.家族はありがたい.

午後,家の近くにある野外リンクで息子のスケートの特訓.まだ一人で立てない.

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