Takanobu Sawagaki沢柿教伸

Takanobu Sawagaki

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flag.gif reace_anime_01.gifエドモントン滞在記

2001.12.1〜12.15

12月1日(土)

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ようやく晴れ間が見えた.日中の気温も少し上がってやや暖かい.洗濯・掃除・除雪・買い物を済ませて,久しぶりにテレビを見て過ごす.こちらでの生活も一月を経過し,テレビの英語もだいぶ聞き取れるようになってきた.

今ごろ日本では皇室の女子誕生で大騒ぎな事だろうと思うが,こちらは静かなもの.エルサレムでの自爆テロがトップニュースで報じられているが,時差の関係か日本の新聞Webサイトにはまだ出ていないところが多い.その他ではジョージハリスンの追悼とワールドカップサッカーの対戦組み合わせが決まったニュースが目立つ."Japan-Korea"と言っている番組が多いが,確か"Korea-Japan"が正式名称のはず.逆表記のポスターかなにかに韓国からイチャモンがついて刷り直しになったというほど「共催国」にとってはデリケートな問題のはずだが,ここではそんなこと知ったことじゃないという感じ.

カナダはケーブルテレビが普及していて,ちゃんとした番組をそれなりに楽しもうと思うとケーブルテレビは不可欠であるため,地上波だけを見ている家庭は少ないらしい.また,日本の下品なワイドショーのようなものがないので見ていて心地好い.日本人の精神状態を悪化させている最大の元凶は低俗なテレビ番組とどのチャンネルもかわり映えしない画一性にあると確信する(たぶん今ごろは誕生の話題でネホリハホリ一色のはず).Shaw教授はそれでも,子供にあまりテレビを見せたくないと言っていた.きっと日本のテレビをみたら卒倒するだろう.逆に,質の良いドキュメンタリーや教養番組が少ないのはちょっと残念.また,ケーブルテレビは有料のはずだが,コマーシャルはちゃんとある.しかも日本よりもコマーシャルの時間が長い.これにはちょっと納得がいかない.

12月2日(日)

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特に出かける用事も無いので文献読みなどで過ごす.これまでにおいがこもるのを気にして控えていたが,じっくり煮込んだカレーが食べたくなって半日かけて料理する.一月ぶりに再びカレー臭さくなった.

夜,今年の4月に南極点にあるスコット基地で病気になった医師をみごと救出したカナダのクルーの番組を見る.予告編をみて,以前白岩さんがBBSで紹介していたのを思い出し,チェックしていたもの.アメリカ空軍も断念した真冬の暗黒の極点へのフライト成功にカナダの航空業界の底力を見たきがした.

NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)の『サンタクロースの追跡』のページ.只今準備中だが,コロラド・スプリングズのロッキー・アメリカ合衆国空軍音楽隊と,エドモントンに本拠地を置くロイヤルカナダ砲兵隊バンドによる,休日のためのウエブミュージックが提供されている.

12月3日(月)

運動不足気味なので,UAのアウトドアセンターに行って適当なプログラムがないか探してくる.丁度,週末に開催しているクロカンスキー講習会の案内が出ていたので,参加してみようかと思う.

ここにはカナダでも有数のクライミングウォールがあり,随時講習会が開かれていて,パートナーがいれば登録していつでも使うことが出来るらしい.スキーヤーのための雪崩講習会もあり,貸し出し機材の中にも,テント・コンロ・スキー等にならんで雪崩ビーコンまであるのには感心した.

12月4日(火)

家賃が引き落とされていないことに気づき,バスで家に一旦戻って管理室まで確認に行く.やっぱり手続きがされてなかったようだ.滞納するとペナルティがあるので,早く対処できて良かった.

ついでに,私のいる部屋はMichnerParkにたくさんあるアパートの中でもゲストスィートと呼ばれる特別な区画であることに初めて気づいた.今まで利用ガイドブックを読んでいて一般の部屋の説明と符合しないところが多々あったので,これでようやく納得できた.

12月5日(水)

本日はクリスマス前の最後の授業日.成績を確認に来た学生で学内は普段の倍ぐらいに混雑している.Shaw教授もテストの採点に非常に忙しいと言っていた.

今週末のクロカンスキーは参加者不足でボツ.来週に延期.

12月6日(木)

学生の数がぐんと減った.

地球・大気科学科は本拠地の地球科学ビル全体とToryビルの3Fの2箇所に入っていて,私やShaw教授はToryのほうにいる.Toryには人文・社会科学系の学科も同居しているので,たぶん地球科学の中でも地理学に相当する部分をこちらに入れるという絶妙の配置にしているのではないかと勝手に想像している.

ということで普段はあまり本家のほうへは行かないのだが,今日は内部を見物しにぶらついてきた.新しいけどしっくりと落ち着いた良い感じの内部だが,どの部屋も扉が閉まっていて何も見ることができなかった.廊下にもたいした展示物はない.

部屋に帰るとクリスから「昨日地球科学のビルに押入り泥棒が入ったので気をつけるように」という通達メールが来ていることを知らされる.戸締まりが厳重だったのもそのせいか.もしかしたら,館内をぶらついていた私は怪しまれたかもしれない.

師走はどこの国でも物騒になる時期なのだろうか.

12月7日(金)


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真珠湾攻撃の日(日本では8日).60周年ということもあってこちらでは昨夜あたりからテレビも特番を組んでいる.

印象的なのは,9月11日のテロアタックとの比較で語る口調が多いこと.「だれもが予想しなかった奇襲攻撃」「アメリカ国民の結束を固めた」など共通点を挙げるコメンテーターが多い.しかし同時に,60年を経過した現在では日米は良好な関係にあり,実際に戦闘に参加した兵士も記念式典で手を取り合って互いに慰霊の念で結ばれている,ということも伝えている.

私は,9月11日のテロアタックはアメリカの独善主義・覇権主義が招いたことで,テロ側にも言い分はあるのではないかと思っている.確か同じようなことをテロ発生の直後にホームページに書いて不見識と叩かれていた新米若手国会議員がいた.表現は悪かったかも知れないがとっさにそう感じた彼女こそ正しい資質を備えていると私は思う(直感を正統な主張に練り直すトレーニングは必要だが...).さてアメリカだが,独善主義・覇権主義という点では60年間なにも変わっていない.これも共通点に挙げるべきだがそういう論調はさすがにこちらにはない.かくなるアメリカに対して60年前の日本にも言い分はあったはずで,昨今の日本の政治家が折に触れて太平洋戦争時の日本の立場を正当化したがる気持ちも分かるような気がしてきた.そういう老議員やその支持者がテロ側の言い分に言及した若手議員の糾弾に加担しているとすればそれは矛盾している.

この比較によって,真珠湾がにわかに身近に思えてきた.「現代の問題を歴史から学ぶ上で有効な方法だ」とか「歴史は繰り返す,か?」などとShaw教授とのお茶話でも話題になった.また「アメリカと逆の立場で考えるカナダ人あるいはアメリカ人は少ないだろう」とも指摘された.だが私に言わせれば「日本は変わった」のに対して「アメリカは変わらないから繰り返してしまう」のだし「共通点の存在を指摘できる見識があれば,変わらないアメリカにも気づくべき」なのだ.

歴史の正しい認識と大衆意識とは別物である.だから日本が真珠湾の悪者にされているという事自体を良いとか悪いとか批判するつもりなはい.テロの時代の人間として60年前の事を今の出来事のように実感し,そういう意識が形成されてきた背景を考えてみたまで.さらには,真珠湾で悪者にされている日本こそ,しかも戦後に平和憲法をいただくように大きく変化しそれで平和を守り続けてきた日本だからこそ,テロ問題をアメリカ以外の視点で考えることを世界に主張できる重要な立場にあると思う.だが,そう考えて問題解決に取り組む政治家は少ない.

そのうち,カナダのアメリカ寄り姿勢と日本のアメリカべったりぶりの違いについてもカナダ人と議論してみたい.

12月8日(土)
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twinlamp1.jpg「@ home exhibition - 情報デザインにおけるデジタルとアナログのバランス感覚 -」というページを見つける.慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC) の稲蔭研究室 Feelの学生たちによる研究成果の発表会で,家庭のなかで使われるいろいろなものに“コミュニケーション”や“インタフェース”を仕込んだものの試案らしい.

別居生活のながい私は,インターネットのおかげで高価な長距離電話を使わなくても家族と連絡を取り合うことができて助かっているが,“twin lamp”なんていうのにも非常にそそられるものを感じてしまう.かみさんはきっと嫌がるだろうけど...

12月9日(日)

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Shaw教授の一番の生きがいはサッカーである.自ら中学生以下の少年サッカーチームを率いているほどで研究はその次だと豪語している.今夜は中学生になる次男のチームのリーグ戦の観戦に誘われてでかける.コーチはもちろんShaw教授.

この真冬にどこでサッカーを,と思うが,カナダにはインドアサッカーというのがあって,それ専用の競技場も作られており,今回行った競技場にはアイスホッケーリンクほどの広さのコートが4面あって,掲示板・控え室・売店などが完備されていた.ルールはフットサルともまた違って,普通のボールを使うとか,壁で跳ね返ったボールも生きているとか,頻繁に選手の交代があるなど,どちらかというとアイスホッケーに近い.

生時代にサッカー少年だった私は,当時のことを思い出して,応援する家族たちと一緒に思わずエキサイトしてしまった.息子を応援するママさんたちの黄色い声援はどこでもいっしょだ.それに彼女たちもよく選手の技量を見極める目をもっていて,ラフプレーにはブーイングし,ちょっとうまい相手がいるとそれをマークするようにと声をかける.帰りがけにレストランで夕食を取ったときも,奥さんも一緒にずっと今夜の試合の事後分析の話で盛り上がった.結果は3ー3の引き分けだったが,今期最高と評される見事なヘディングシュートもあって,いい試合だったという.

教授のひいきの国際チームはスコットランドだが,今回のワールドカップには出場しないので,残念そう.それでもできれば日本に観戦に行きたいと言っていた.あいにくその時期は私はまだカナダにいるので招待できず残念.

12月10日(月)

カナダは移民の国だが,エドモントンはことさら多民族が集まるコスモポリタンな都市である.私の宿舎は家族持ち学生向けなこともあって,大学とを結ぶバスの乗客の8割は白人以外の人々である.中でも東洋人が多く,大抵の場合は香港系中国人であるらしい.良い意味でも悪い意味でも彼らはどこにいても中国人だ.たぶん,イギリス人もドイツ人もインド人も,ここでもやっぱりその祖国の人々のままでありつづけるのだろう.

第一次南極越冬隊で地質および犬ぞり係だった菊池徹さんは現在バンクーバーにお住まいである.その菊池氏が主催するオーロラネットというホームページには,「タロ・ジロ」にまつわる話の他に,菊池氏のいろんな提言が掲載されていてなかなか面白い.その中に「離脱の容認」というのと「本当に日本は倒れるか?」というのがあって,短期海外旅行者を除く外国居住者数についての話題がある.それによると外国居住者数と国内人口との比(外国分布率という)は,カナダのおおもとの一つである英国で200%だという.そして「外国分布率」の高い国は国際的にも成熟した政治機構を構築できているという.人間誰でも「故郷」を離れると「故郷」の事を思うもので,それが重要な自国防衛力となる,というのが菊池氏のお考えで,日本ももっと海外へ移住者を出し海外からも移住者を受け入れることで意識の成長をはからなければ幼稚な政治機構から脱却できない,という.

「故郷を思う気持ちが防衛力になる」という主張は.日本人には「郷土愛」はあっても「愛国心」がないと常々考えている私には非常に共感できる.このことはいろんな事例をあげて証明することができるが,ここでは省略する.問題なのは,今の日本では「郷土愛」による国内地方間・組織間の防衛力が過剰に働いているため,国会は単なる「金銭権利」の奪い合いの場と化し 国家のための大綱を決定する議会というには程遠いことになってしまっていることだ.さらに富山商船高専の金川欣二教授によれば,実は日本は恐ろしいほどの多民族国家なのだという.そういう意味で日本の政治機構は「国内的な“故郷を思う気持ち”に支えられた最も成熟した形態である」といえよう.このすばらしく強力な力を秘めている「故郷を思う気持ち」を「郷土愛」からせめて「憂国心」のレベルにまで引き上げ,国際間における防衛力を強めるための原動力として機能させるには,菊池氏の「相互移民国家戦略」も必要なのかもしれない.

<さらなる考察が必要な課題>

  • 「外国分布率」が英国で約200%であるというのは,これはかつての大英帝国の植民地主義の結果であろう(フランス・スペイン等も同様).大日本帝国はかつて大東亜共栄圏を構想して破れそれを否定した.英国等は過去の遺産に助けられているのだと思うが,こういう形の「外国分布率」の向上の是非はどうなのか?
  • また,中国系の人々は「植民地主義」の遺産とは異なる形で世界中に浸透しているが,しかし果たして中国はこれでうまくいっているか?
  • さらにはユダヤ人型などの他の浸透パターンはどうか?
  • 「外国分布率」をあげるためには餌が必要である.住民票がない地域への地方選挙権がないのと同じで,国際生活者(たとえば「外国分布率」200%以上の血族)でないと国政に参加できないようにするとか,あるいは税金で優遇するとか,なにか良い方法はないか?
  • 日本は工業製品を世界中に浸透させている.製品の信用維持等の名目で製品浸透率(あるいは市場占有率)にみあう人員を相互派遣(移住)することを義務づけたらどうか?
  • 国内の教育の崩壊が叫ばれているが,国民の教育への情熱がなくなったわけではない.第三国からの日本への留学希望者も増える一方だ.相互移民政策を促進するのに「教育移民」なんてのはひとつの餌になるかも.でも文部科学省が「「日本の教育はもうだめだからどんどん海外に行きなさい,それでも日本で勉強したい人は留学生として受け入れます」なんて言うかどうか?
  • 岩波新書「裏日本」古厩忠夫著で展開されているような近代史的考察が,「表日本」vs「裏日本」という構図から「国内」vs「国際」という構図に置き換えて近未来予知的になされるべきだと思う.著者が本書の中で近年の環日本海圏構想の中にかつての「大東亜共栄圏」的発想につながる危険性を認めている点も「外国分布率」の課題への糸口になりそうで興味深い.そこに突破口はないか?
  • 「外国分布率」の向上など待たず,「郷土益」と「国際益」が直結するようになれば「国益」重視の政策も「郷土益」からの圧力として実施されるようになるのではないか?ではどうやってこの二つを直結させるか?国際化は田舎から実施すべき?

12/14加筆
そもそも日本に国家としてのなんらかの「戦略」を考える甲斐性があるのならこんな心配をする必要などないのだ.「相互移民国家戦略」について考えることなどどうでもよくなってきたなあ...と言ってしまってはみもふたもない.大事なのは国民の意識を変えること.それは時流を読むことでもある.黒船を期待できない現在,まずは,日本人の「故郷を思う気持ち」の根底にあるのは「郷土愛」であってそれをどうくすぐるかという視点で考えるべきだ.マスコミにしても評論家にしても新聞にしても,田舎出身であるがゆえのコンプレックスによって(あるいは都会者の一方的優越感によって)「郷土愛」を忌避しているほんの一部の日本人が,田舎政治家の対極として世論を動かしているように思えてならない.田舎者よ,そんな「故郷を思う気持ち」をバカにする者の意見など忘れて,ほんとうの日本人として自立し声をあげようではないか...まるで坂本竜馬だなこりゃ.

12月11日(火)

来年は国際山岳年(IYM).IYMのスローガンがインターラーケンの会議で紹介され,英語で"We are all mountain people"という.これを日本語に訳そうと日本委員会が考慮中で,案として以下の物があげられてるが(内部情報),どれも今一つ.

  • 私たち、やまだち(山の友達・人達という意味)
  • 私たち、みんな山岳人
  • 私たち、みんな山の人々
  • 私たち、みんなマウンテンピープル
  • 私たち、みんな 山の仲間
  • 山こそ我が家
  • みんな、山仲間
  • われら、山と生きる
  • 山に住む、心は一つ

「人」「民」「族」「衆」「類」「達」...
「people」にはいろんな和語・漢字をあてるとこができる.いろいろ調べていたら,筑波大学大学院 歴史・人類学研究科博士前期課程(民族学・民俗学)の益田 岳氏による, 柳田國男の『山の人生』における「山人」と「山民」の使い分けについて(1999)というのを見つけた.これによると柳田國男は厳密に「山人」と「山民」を区別して用いていたようだ.残念ながらこの論文は未完成で具体的にその区別の根拠がどこにあるのか書いていないのだが,ある程度造詣のあるひとなら,「mounatin people」 にこの二つをあてることに疑問を感じるかもしれない.

昨日の日記にも書いたとおり,日本人はとかく「..族」をつくるのが好きな国民だ.関係業界の利益保護のために関係省庁に強い影響力を行使する国会議員を英語で“diet cliques”というそうだが,山岳年の趣旨からいうと,山の問題を積極的に考えていくという意味でこの「族」という語が一番近いのではないかと思う.逆に「自分の理解できない異文化を排斥しようとする心性」が日本の「多族化」の根源である,と指摘する向きもあり,こういう風にとられるとスローガンとしてはかえってマイナスだ.


注1)「山賊(さんぞく)」のことを言いたくて「山族」としているのをよく見かけるが,これは明らかに間違い.主要な国語辞典にも「山族」はないはず.さらにここでいう「山族」は「やまぞく」と呼ぶ.

注2)金川欣二教授によれば,すでに「族」の時代はすぎて「ラー」の時代だということだが,さすがに「山ラー」は使えないだろう.


私はほかに「衆」というのにも惹かれる.沖縄弁っぽくなるが「山衆」とかいて「ヤマンシュ」なんて読ませるのもいいかもしれない.Doctors Disagree(学者は意見を一致させず)の格言に倣い,逆にこだわりをあっさり捨てて,「山な人」というへんな日本語でうやむやにする,というのも考えられる.

さて「we are all」の部分の解釈についてだが, 「みんな#...*」というフレーズの中で

  • 「#」=「が」「で」「と」「も」「は」
  • 「*」=「である」「する」「なる」

の組み合わせが考えられ,私は「#=で」と「*=する」のニュアンスが好きだ.
ということで「みんなで山族(衆)」とか「山族(衆)あつまれ」なんてのはどうだろうか?

実は私も日本委員の一人.この読者で良い案があれば私まで.

12月12日(水)

午前

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昨夜,「Sculpted by Floods」というTV番組を見た(たぶんこの番組の焼き直しだと思う).コルディレラ氷床の南縁に存在した“Glacial Lake Missoula”と呼ばれる湖が12,000年前頃に決壊して大量の水を大平洋に放出したという“Spokane Floods”とよばれるイベントの話. この説を促進するためにアメリカワシントン州にはThe Ice Age Floods Institute というのが設立されているほど今ではメジャーな説である(群馬大の早川研究室のページにも解説が有る).

この考えは,J Harlan Bretz (1882-1981)による,1923年(J.Geology, 18) 以来の一連の論文に端を発する.Bretzは,ワシントン州に広がるChanneled Scablandを記載し,その成因を説明するために1925年には“Spokane Floods”説(J.Geology, 33) を提唱する.かれは長らく,水源についてははっきりと言及することを控え,その水源を求めていたところ,Joseph Thomas Pardee (1871-1960)がすでに唱えていた“Glacial Lake Missoula”を知り,そのアイデアと“Spokane Floods”が結びついた(J.Geology, 77)(経緯等についてはUSGS のCascades Volcano Observatoryノースダコタ大学のページが詳しい).漸進的斉一説が根本原理だった当時の地質学会において,この挑発的な激変説が受け入れられなかったのはいうまでもない.その転機は探査衛星バイキングからの火星の写真によって,広範囲に水流の侵食を受けた地形が認識されたことにあるらしい.そして現代ではいかにこの説が受け入れられ応用されるようになったかということを語るのが番組の筋書きだった(今では火星ツアーと称してコロンビア平原を見学するバスツアーもあるという).

番組のことはさておき,氷床がらみの洪水となれば,Shaw教授も無関係であるはずはない.雑誌Geology,27-7に"The Channeled Scabland: Back to Bretz?"(1999)という論文を書き,Glacial Lake MissoulaはChanneled Scablandの形成に関与した唯一の水源ではなくカナダの氷床底からの水流もあったはずだと主張した.さらに翌2000年にはアリゾナ大の小松吾郎氏らのモデル計算のコメント(突っ込みというかサポートというか)をうけてそれへの返答も残している(Geology,28-6).この情報はICGのときに東大の小口さんから聞いた.全てのつながりは火星の河成地形にある.小松さんと小口さんはかつて火星の台地上の河成地形について共同研究しており,Bretzの奇抜ともいえる発想が火星探査を通じてよみがえったように,火星を通じてShaw教授の説とも討論を展開するようになっているのである.

火星と言えば,2000秋にワシントン大で開催されたデブリカバー氷河のワークショップ(これについては雪氷第62巻 第6号に報告を書いたのでそれを参照されたい)のとき,USGSのJ.S.KARGEL氏が火星の地形の解釈についてしきりに氷河屋・氷河地形屋にアドバイスを求めていた.そのときに「カナダのShaw教授は(地球の氷床で)氷底水流説を提唱しているがどうか?」と質問していたのが印象に残っている.Shaw教授に聞いたところ,彼は教授のところに直接訪ねてきて話をしていったそうだ.

Shaw教授は来春にまたChanneled Scablandに調査に行くという.カナダから片足をはみ出すくらいはいいかな〜〜〜?

12月12日(水)

午後

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A Neoproterozoic Snowball Earth
Paul F. Hoffman, Alan J. Kaufman, Galen P. Halverson, and Daniel P. Schrag
Science, 28 August 1998, Vol. 281, No. 5381 p1342

今日は午前と午後の豪華二本立.上記の論文の著者として注目されているハーバード大学のPaul F. HOFFMAN 教授の講演があったので聴きに行った.さすが時のひとの講演だけあって,階段講堂が満席になる盛況ぶり.2週間にわたるヨーロッパ講演ツアーからの帰途にエドモントンに立ち寄ったということで,講演の完成度も高かった.

スノーボール地球仮説については,雑誌「科学」の2000年1月号に「7億年前に地球は全球凍結した?」という特集記事があるので参照されたい.私が日本を出る直前に,この仮説を題材にBBCが作成した科学番組をNHK教育テレビが放送していたので,ある程度予備知識はあった.それを見た時は「まだ定説にもなっていないだろうに一般向けにこんなにもっともらしく紹介してもいいものだろうか」と疑問に思ったものだが,この仮説の影響は予想以上に大きいらしいく,恐竜絶滅の天体衝突説以来,久々に熱い議論が始まっている.

同室のクリスは変成岩が専門であるとはいえプレカンをやっているので興味があるそうだ.講演前のお茶の時間にはクリスも加わってスノーボール地球仮説の話題で花が咲いた.講演後クリスは,仮説を検証しサポートする証拠を追究していくHoffman教授の研究の進め方にいたく感激したようで「これから家に帰って無能な自分に泣かなきゃいけない」とまで言っていた.

氷河のほうから興味があったのは,全面凍結してしまったら水分の供給源や流れてしまう氷のマスバランスの維持はどう説明するのか,という点だった.答えは,昇華によって大気中へ水蒸気が供給される,非常に寒い状況では氷の動きは遅いのでそれで十分,日較差が大きいので昼間融けて夜凍るということも考えられる,というものだった.実例としては火星が参考になるだろうとも言っていた.

「科学」の「スノーボール・アース仮説へのアメリカでの反響」の記事を読んでもらえば分かると思うが,その論拠や批判点は,我々が「氷底水流仮説」で抱えている問題と非常によく似ている(四紀氷床学も所詮は地質学の範疇だということか).Hoffman教授はカナダのMcMaster大学卒で,カナダ地質調査所やビクトリア大にも勤めていたというから,たぶんカナダ人なのだろう.Shaw教授の「氷底水流仮説」といい,どうやらカナダ人は大きな仮説が好きらしい.しかも,どちらも多くのフィールドデータに立脚して論を進めていて,露頭で語れるのはうれしい.

「60年代のプレートテクトニクス,70年代のKTバゥンダリー等々,地球科学には過去に多くの批判を浴びた学説があった.その時に大抵の人は右側にいたが今は後悔しているはず.そういうエポックメーキングな仮説に対して左側を選択できるチャンスはそうないよ」という締めくくりにはさすがに唸ってしまった.

12月13日(木)

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「今年度に創設された総合地球環境学研究所の所長と管理部長が低温研を来訪するので新研究所を紹介してもらう会を催す」という案内が来た.

分野としては地球環境研を訪問するなら分かる(*)がなぜ低温研なのか?研究所の政略が見え隠れしていささか気分はよろしくない.遠隔地にいて疑心暗鬼になっている私に,どんな話だったかだれか報告してくれる?単なるファンレターでも歓迎.


(*)表紙に戻ってコラムの「改革の前に清算を」を参照のこと.
なんとこのコラム,国立大学独立行政法人化問題週報No.72で紹介されていた!


さて,このところ,日記を書くのにWebページを参考に付けることが多い.それでお世話になっているのがGoogle.このGoogleが最近大規模バージョンアップし30億ドキュメントをインデックスしたという.極めつけは,1981年以降の20年分の完全なニュースグループのアーカイブを公開したことだ.その中には、現在のインターネットの基盤ともなっているWebに関するTim Berners-Lee氏(2002年の日本賞受賞)の発表メッセージ(1991年8月)や,LinuxのもとになるLinus Torvalds氏によるプロジェクト(1991年10月)の投稿など,歴史的に貴重なものが数多く含まれているという.

そういえば,先日紹介したノースダコタ大学のページでも,ニュースグループへのBretzの説に関する投稿記事が紹介されていた.私は,2000年春の地理学会で日本の氷河地形のシンポをしたときや,今年2月に比較氷河研究会を開催したときなど,メーリングリストやWeb掲示板での意見交換が促進剤になった面が大きいと考えている.そういう記事も,あと20年もすれば歴史的な投稿記事として貴重がられるのだろうか?Google社は歴史的な投稿を見つけた場合に知らせてくれるように求めている(氷河作用のページは通報しても意味がないよ,たぶん).

歴史的な投稿をしてみたいものだが,世界的に「歴史的」と評価されるには英語であることが必要条件だろう.人口比からいうとWeb上の言語は近いうちに中国語に席巻されるという見通しがある.コスモポリタンなエドモントンにいると,中国語の会話で伝達される情報をキャッチできればどれほど役にたつだろうか,と思うことも有るのでこの見通しは実感として深刻に受けとめたい.しかしまずコンテンツが世界的に注目されなければ意味がない.翻訳サイトは注目されてから読んでみようという人には有効な手段かもしれないが,翻訳サイトを経由して情報を検索する人は稀なはず.非英語国民として口惜しいけれども,英語で発信する努力は今後も続けなければならないだろう.逆に,日本語で検索した際に中国語のページもひっかかる場合もあるので,漢字あるいは2バイト文字が標準で使えることは,ネット上の膨大な情報により多くアクセスできる術をそなえていることになり,日本人にとって今後大きなアドバンテージになるのではないだろうか.

12月14日(金)

今日は1911年にRoald Amundsenが南極点に立った日で90周年にあたる.Robert Falcon Scottがたどり着いたのは1か月後の1月17日.私と同様に浄土真宗の寺の長男として生まれた白瀬 矗(Nobu Shirase)が大和雪原(やまとゆきはら)と命名した地点(S80'05",W156'37")を引き返したのが1月28日.村山隊長率いるJARE9が日本人ではじめて南極点に到達したのは1968年12月19日で,JARE43をのせた今年のしらせは今日現在まだ昭和基地にも到着していない.

yukihara.gifあらためて地図で確認したところ,大和雪原はロス海に浮かぶ棚氷上にある.でも棚氷だと分かったのは最近のこと.加納一郎著『極地の探検』によれば,白瀬は,外務大臣に宛てて「南極で日章旗を立ててきたところは日本の領土であるからこれを政府に寄付する」という文書を出し,その後もたびたび大和雪原を日本領土と宣言するよう要望したが,政府は全くとりあわなかった,という.「海上じゃ領土にもできまい」と当時の政府が考えていたはずはないが,まあ日本とは当時から先見性が皆無な国だ.だが白瀬という個人がいたこともまた事実.白瀬は戦後GHQにまで嘆願していたらしい.ロス棚氷の東岸に白瀬海岸の地名がつけられているのは幸い.「やまとゆきはら」のほうはというと...

ところで,棚氷って領土を主張できないのだろうか?大陸だってマントルの上に浮いた氷みたいなもんだし,西南極なんかは氷を取り除いてしまえば海面下になるんだぞ.また余談だが,現在の日本の南極観測基地は大陸とは離れた小島にある.これも,国の完全バックアップのもとにJAREが組織されたわけではないという経緯に由来するといってもいいだろう.だがそれでも昭和基地を越冬基地に仕立てた(1957年1月29日で奇しくも白瀬と一日違い)JARE1の隊員個人個人には大きな敬意を表したい.そう考えながら検索していたら,日本人とフロンティアというページを見つけた.

  • アフターレポートの重要性
    ーう〜んなかなか鋭い(*).
  • 地誌データの整理と積み上げが植民地経営の基礎だった
    -この日誌も「日本の自立」に役立つかも?(12/10を参照のこと)
  • 人間のフロンティアへの挑戦に対する最大の罪は「熱狂と忘却」ではないか?
    -う〜ん,特に猿岩石と白瀬を4票差にするような日本人にはこれもまた然り.

100_dollar.gifそういえばHoffman教授が,講演の冒頭で,安定地塊のティライトについて早くから注目していた人としてDouglas Mawsonを紹介していた.南極探検に人生をささげ,Ernest H. ShackletonのNimrod Expeditionで南磁極へ到達したりRobert Falcon Scottの極点旅行を断って海岸線を明らかにする旅につくなど,死に直面しようともあくまでも地質学者としての本分を貫いた人だ...そういう人を紙幣の肖像に採用する国もあるというのに...でも新渡戸さんも好きだよ...

久しぶりに極地探検の本を読みたくなった.そこでAmazon.comに立ち寄ったらたくさん出てきて困ってしまった.これこれなどは特に面白そう.“Customers who bought this book also bought”に紹介されている本もまた同様.

12月15日(土)

前から申し込んでいたクロカンスキーのビギナー講習会第1日目に参加.早朝だったが気温もマイナス6〜8度とそれほど低くもなく快晴.昨夜に降った雪がうっすらと積もり,最高のコンディション.場所は大学の北東にある橋の下の河畔運動公園.大学のある平坦面からは100mほど下らなければならないが,スキーで滑って行ったらあっと言う間に着いた.講師は学校の先生をリタイヤしたドナルド・サザーランド似の初老のスマートなおじさん.参加者は全部で12名.ビギナーコースだとはいえ2時間のレッスンは結構いい運動になる.クロカンの基礎も学べてこれまでずっと自己流でやってきた私には勉強になった.いかに他の初心者に合せるかに気を使ったが,さすがに講師には経験者と見抜かれてしまった.

道具はアウトドアセンターのレンタル.昨日,センターまで借りに行くついでにお茶を飲んでいたら依田さんとばったり出会う.依田さんもスキー講習会に申し込んでいたところ,参加者が少なくてキャンセルになったという.もしかしたら私がキャンセルされたのと同じだったかもしれない.今週末は,市内の鳥をカウントする行事に参加すると言っていた.Christmas Bird Countsといって,その筋ではかなり有名なものらしい.お互い快晴でなにより.私は気楽なものだが,依田さんは学生として来ているので期末試験がある.読みこなさなければならない文献が膨大にあるとか,レポートも多いとかで「試験が終わった日はげっそり」と言っていたが,私の会った依田さんは相変わらずハツラツとしていた.

今夜はRobというShaw教授の友人宅のパーティに誘われている.明日の第2日目もあるので,まありに飲みすぎないようにしよう.

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